結婚相談所の男性心理がわかる婚活応援ブログ
男性目線で婚活女性の悩みや疑問にお答えします。
結婚相談所に入会(登録)するだけでは同年代の男性と結婚できない時代です。
3社の結婚相談所(IBJ他社、ゼクシィ縁結び、仲人による釣書交換)で5年間婚活を続けていた32歳女性が7ヶ月で入籍されました!!!
3社での5年間の自分なりの婚活を思い出し、赤裸々に語って下さっております。
アラサー女性の読者の皆様も同じような経験をされている方は多いのではないでしょうか?
結婚相談所での婚活は幸せな結婚をたくさん生み出している実績のもとで、正しい方法で、正しい指導のもと行うことが重要です。
関西在住32歳(H美さん)の成婚レポートをお届けさせて頂きます。
ご一読下さい。
目次
自己紹介
山田さん
いつもお世話になっております。
5年間他社で迷走していた私を、7ヶ月で入籍に導いてくださったこと、感謝してもしきれません。
本当に、ありがとうございました。
ブライダルサロン東京での活動は、家族にも友人にも、まして夫にも決して話せませんが、毎日必死にPDCAを回し、人を観察し、自分を磨いたかけがえのない時間となりました。
この活動が無ければ、私は一生、心から安心して幸せだと感じることができなかったと思います。
山田さんと成婚者の先輩方が励まし、導いてくださり、また現役生の方々から前向きにがんばる姿勢を見せて頂いたから、諦めずにやりきることができました。
これからの人生、困難もあると思いますが、夫と手を繋いで一緒に進んで参ります。
感謝を込めて、成婚レポートをお送りします。
- 大阪府在住32歳(お相手は32歳💙)
- 実家暮らし
- ショートヘア
- ぽっちゃり体型(入会当時)
- 男友達はいない
- 結婚相談所は3社経験し、ブライダルサロン東京は4社目
- 「好きなことを仕事にしてる人は情熱的でいいな」と思っていた
- 話が面白くてよく笑う明るい人がいいなと思っていた
婚活迷走期(26歳〜32歳3月)
結婚相談所入会前
結婚願望が強い割に男友達はいなかったので、街コン、合コン、婚活パーティー、友人の紹介など機会があれば飛びついていた。
ときどき彼氏ができても自分から嫌になって別れることを繰り返していた。
恋に恋するお年頃。
26歳のときに参加した婚活パーティーで15歳上の方とカップリングになり、1回食事に行った。
そのときに店員さんに対して「料理を持ってくるタイミングが早い」など細かい注文をつけるところが嫌だなと思い、翌日交際終了の電話をすると「1回会っただけで何がわかるんだ、こっちは真剣に結婚相手を探してるのにふざけるな」と怒鳴られ、「自分で断ることが怖い」と思うようになった。
1社目の結婚相談所
27歳のときに、初めてIBJ(日本結婚相談所連盟)と日本仲人協会の両方を見られる結婚相談所に入会した。
両親がお見合い結婚だったので、もともと仲人さんという存在に抵抗はなかった。
むしろ断るときに間に立ってくれるのは有り難く、男性のプロフィールをパソコンで見て選べるなんてすごい楽と思い、仲人さんの「27歳は若い方やから全然大丈夫やで」という言葉が後押しとなった。
半年ほどお世話になり、10人弱、お会いした。
年齢は一番近い人で7歳上だった。
当時は「27歳だから申込みが山ほど来て選び放題」だと勘違いしており、申し込まれるのを待っていた。
申込むのも躊躇していた。
プロフィールに「お相手への希望:優しい人」と書いてあると「私は優しくないしなぁ」と思ったり、「趣味:スノボ」と書いてあると「無理、一緒に遊べない」と判断したりして、なかなか申込まなかった。
申込んでも応じてもらえるかわからないのに、デートの妄想までしていて、おめでたい脳みそだった。
なんとかお見合いが組めると、交際には比較的繋がった。
しかし、1回食事に行ったら疲れて、連絡をとるのも面倒臭くなり、交際終了にしていた。
1人だけ2ヶ月ほど交際が続いた方がいたが、失礼ながら妥協して申込んだら当たったという出だしで、気持ちが全く乗らなかった。
週に1回夕食デートはするものの、週末は私との1日デートより妹さんのアッシーを優先されるようなところがあったので、真剣交際をほのめかされたが結婚したとしても私の優先度は低いと思い、交際終了した。
その後、合コンで彼氏ができたため、月会費が勿体無いと思い、退会した。
その方は私とのデートより趣味と友達を優先し、私との関係は週1回会うメシ友程度だったので「これじゃあ友達と変わらないよね」と伝えて9ヶ月で別れた。
当時のプロフィール
お見合い写真:結婚相談所に勧められた大阪のスタジオで撮影。
ぽっちゃり体型にコテでクルクルのチリチリにショートヘアを巻かれ、どう見ても27歳には見えなかった。
家族からも「40代に見える」「子持ちに見える」と不評で初っ端から自信をなくす。
そしてコテを持ってなかったのでお見合い時に再現不可能だった。
仲人さん曰く「お見合い写真はプロがメイクしてヘア整えるんだから別人で当たり前」とのこと。
PR文:文才ゼロなので人様の文章をパクらせて頂き、3行くらいにまとめた。
「暖かい家庭を築きたいです」という文はいいなぁと思って使っていたが、具体的に何がどう暖かいのか想像していなかった。
寒いよりは暖かい方がいいかな、冬より春、くらい。
→よくあのお見合い写真とプロフィールでお見合いが組めたなと、今は逆に感心する。
そして「結婚したい」と言いながら「具体的な結婚生活」については全くイメージしていなかった。
それなのに断る理由は「ちょっと違った」と言っていた。
一体何が違ったんだか。
2社目の結婚相談所
街コン、合コン、婚活パーティーの回数は重ねるものの成果がなく、30歳の誕生日を家族に祝ってもらう虚しさから「今年こそ結婚するぞ」と奮起し、比較的費用の安い大手結婚相談所(ゼクシィ縁結びエージェント)に入会する。
4ヶ月ほどお世話になり、5人ほどお会いした。
相変わらず、申込まれるのを待つ姿勢だったので、なかなかお見合いが成立せず、条件を年齢と年収のみに絞っても両方満たす人とは出会えなかった。
年収を下げた結果、1人交際に繋がり、2ヶ月ほと経ってから私の親に挨拶する日が決まった。
しかし直前に「年収をサバ読んだ」と言われ不信感を抱き、更に「先に同棲したいって言ってもいい?」と言われ、結婚まで考えていないと判断し、交際終了した。
その後、検索の度にお相手が見えるのが嫌になり、やる気を失い退会した。
当時のプロフィール
お見合い写真:結婚相談所に勧められた京都のスタジオで撮影。
またぽっちゃり体型にショートヘアをクルクル巻かれた。
体型カバーのためカーディガンを羽織り、おデブだとわからないように体を斜めに向け、二重アゴに見えないようにカメラマンは脚立の上から撮影していた。
当時は良く撮れたと思い密かに気に入っていたので3社目でも使用していたが、山田さんに単発婚活相談の際見て頂き、「圧が出すぎ」と酷評を頂いた。
PR文:1社目とほぼ同様。
自作したものを担当の方に提出すると、日本語がおかしくなかったのでそのまま採用。
3社目の結婚相談所
31歳になり、街コンに行けば年下ばかり、合コンの機会もほとんどなく、婚活パーティーはベルトコンベアにしか見えなくて行く気がせず、仕事と携帯ゲームで時間を潰す日々を送っていた。
ある日、親から「仲人さんを紹介してもらったから会ってきなさい」とつまみ出される。
全く婚活に気持ちが向かないまま入会し、月に1回のペースで仲人さんが釣書を2〜3通持ってこられ、10歳上まで年齢の範囲を広げてお見合いをした。
40代の方数名にお会いしたが「仕事はきっちりされてるけど、生活とか将来のイメージが出来すぎてて私の入る隙間がないなぁ」と思うことが多かった。
釣書を見せて頂く段階で「この方のお父さんが敷地内に新居を建てる予定です」と伝えられたことがあり「同居は無理なのでお断りします」と言うと「人柄を見て判断しないと」と言われてしまった。
仲人さん曰く、「家賃がタダになるんだから、ラッキーなこと」という認識らしい。
なるほど、そういう見方もあるのかと新しい視点ができた。
1年ほどお世話になり、6人ほどお会いした。
基本的に待ちの姿勢で、動いてるのか休んでるのかダラダラと続けていたところ、大好きだった祖父が亡くなった。
通夜で悲しみにくれる私と妹に、お坊さんが「こういうときに彼氏を連れて来るんやで、悲しみを共有できる人はいい人や」と言った。
残念ながら、私達に彼氏はいなかった。
仮交際の人もいない、お見合いの予定もない。
関東で兄の結婚式に列席したときに祖父が「関東は遠いな、あんたは関西でしてや」と言った言葉を思い出し、結婚式に呼べなかったことが申し訳なかった。
葬式で妻と子と孫に囲まれる祖父を見て、「死ぬときに1人は嫌だ、私も家族を作りたい」と強く思った。
忌明けと共に、今度こそ結婚するために真剣に活動しようと奮起した。
まずはなるべく断らずに会ってみようと決意したときに、仲人さんが2名紹介してくださった。
その中にプロフィールで大変気に入った人がいた。
年齢、年収は希望の範囲、何より職業に興味があった。
「会いたいです」と前のめりに仲人さんに返事をし、翌月お見合いした。
話はほとんど私からお相手の仕事内容についての質疑応答。
関東にお住まいだったので、基本はLINEか電話で、月に1回関西に来てくださってデートをした。
真面目で堅実で努力家、無趣味で寡黙な方で、会話はこちらから話題をふるのがだんだん面倒になっていった。
3回目の夕食デートの日は待ち合わせ場所の近くにデパートがあり、私はデパートの中のレストランに行くと思い込んでいた。
待ち合わせに現れたお相手が選んだのは、徒歩10分移動した先の大手スーパーのフードコートで、「デートでフードコートなんて有り得ない」と思いながらも承諾してしまい、デート後「こんなのデートじゃない」と仲人さんに愚痴ったことがあった。
仲人さんも「フードコートなんて前代未聞」とお相手の仲人さんに連絡し、プチ事件になった。
初めて、プロフィールは全て良いと思える人と出会えたのに、無表情だし寡黙すぎて話しにくいし何考えてるのかさっぱりわからないし、つまり一緒にいて面白くない、だけどもうこんなスペックが良い人は現れないかもしれないし、お相手も私を気に入ってくださってるようだし、私が覚悟を決めて「Yes」と言えばたぶん結婚できるのに、そう言えない私は何様なんだろう…と悩む。
仲人さんには「白馬の王子様はいないよ」とか「母性が足らんのかな?彼を育てる気持ちを持たないと」とアドバイスされるが、意味がよくわからなかった。
その後5回目のデートで結婚を申し込まれたが、全国転勤に付いていけないという理由で交際終了した。
ブライダルサロン東京との出会い(3月上旬)
3社目で出会ったスペックは良いのに何考えてるかわからない人のことで悩んでいるときに、山田さんのブログを見つけた。
夜な夜な人様の婚活ブログを読み漁り、「私はまだマシ」と思い込んだり、どんな服がウケるのか考えて美人百花を買ったりして、「何か変わらないといけない」という気持ちだけで迷走状態を爆走していた。
結婚相談所という環境でないと出会いはない、お見合いが数多く組めないからチャンスには食らいついていきたい、でも今目の前にいる人には納得していない、という我儘放題の心境。
山田さんのブログ、ムービーを見て、できしなを見た時よりグサグサ心をえぐられながら、どこかで正論だと納得していた。
ただ、自分の脳みそが腐ってるとは気づかず、とにかく出会いの機会を増やしたいと思い、プロフィールの写真とPR文のアドバイスを頂きたくて単発婚活相談を申し込んだ。
単発婚活相談(3月中旬)
まさか外見から滅多打ちにされると思っていなかったので、足が震えた。
3社目のお見合いで使用していた格好で、当時の一張羅だった白セーターは「ダルダルの襟」、お見合い写真を再現しようとしてクルクル巻いた髪は「ケバい」、アクセサリーもアウト、「二重アゴ」「デブ」「551の肉まん」と酷評を頂き、何よりカフェオレを注文したのが5年間の迷走の集大成だった。
現状についてボコボコに言われたが、私の脳みそでもわかるように説明してくださり、立ち位置とどうすればいいのか教えてくださり、ちょっと希望がわいた。
山田さんは見方が違う。
フードコート事件について、仲人おばちゃん達は揃って「あり得ない」と言っていたけど、山田さんは「いい人じゃん、絶対浮気しないよ」と言った。
「デートでフードコートに連れて行かれたら女性は絶対断るから浮気に繋がらない」「お金のかからない男性だから財布の紐を握れる」。
すごく新鮮な視点だった。
もっと教えてほしいと思った。
プロフィールを変えるだけではなくて、考える土台がそもそも違った。
「奴隷婚」じゃなく「愛され婚」がしたい。
単発婚活相談で前のめりに「入会させてください」と言うと「ココ入らなくてもお前ならできるんじゃない?」と拒否られたが、「できないから5年も迷走してるんです」と揚げ足をとり、ゴリ押しした。
「入りたいなら決意表明書いて」と言われ、帰りの駅のベンチを陣取り、思いの丈を打ち込んだ。
「入会させてください」とまたもや文面でもゴリ押した。
自分の希望を通すことに「回り道」とか「もみもみして伝える」ことができない、本当に勢いと圧しかない女だった。
しかし無事入会させて頂けた。
第1クール準備(3月下旬)
上京前に関西在住の先輩にOJTをして頂き、今後の活動の仕方を伝授して頂いた。
上京して、美容院に行き、お見合い写真を撮り、プロフィールを作って頂いた。
真正面から撮った写真は紛れもなくおデブだった。
腰のお肉はスカートにインしきれなかった。
でも、今までの「私を見て!」という感じではなく「どなたでも会いに来てね」というような雰囲気のお見合い写真になった。
撮影の後、R美さんとお会いさせて頂けた。
同い年とは思えないほど賢くて綺麗な人だった。
「いつまでに入籍しようと思っているか」尋ねられ、即答できなかった私は、意識が甘かった。
R美さんが入籍までの一般的なスケジュールを教えてくださり、逆算していつまでに真剣交際していないといけないか、それならいつお見合いをしてないといけないか、具体的に説明してくださった。
本当に今まで何活していたつもりなのか、恥ずかしいほど私は結婚について何も知らなかった。
山田さんに「斜に構えない」「芸人にならない」「特別な仕事をしているとか思わない」と私の癖をズバッと指摘して頂き、その言葉を常にスマホのホーム画面にして読むようにした。
また、お見合いの姿勢として「目の前のお相手が求めている最適解を考えて行動する」とのアドバイスを頂いた。
山田さんが作ってくださったプロフィールは見たこともない素晴らしい女子力満載な内容で「こういう女性になる」という目標になった。
入会してからは毎日、常に食事制限をし、通勤電車の中で課題図書とノートを読み、帰宅すると料理作り、体の筋トレ、笑顔の筋トレをして1日をフル活用していたので気持ちが前向きになった。
悩んでいる暇がなく、ウジウジしそうな思考が出ると「邪魔、そんなことしている時間がない」と一掃し、効率的に考えるようになった。
「今、一番優先するのは何か」を常に考え、時間を大切にするようになった。
第1クール活動開始(4月)
活動直前に参加させて頂いたA子さんのお茶会は、とても素晴らしかった。
どの人に対しても優しく、思いやりをもって接するA子さんに憧れ、何より日々のご主人とのやりとりが素晴らしかった。
また、優しいとはどういうことか、思いやりはどう表現するのか、具体的なお話をしてくださり、これまで周りの人がどんな気持ちを込めて接してくれていたのか知らずにいた自分を恥ずかしいと思った。
見方が変われば、世界が変わる。
人に対する見方が厳しくなるから、自分も鎧をまとって気を張らないといけなくなる。
もっと優しい目線を持ちたいと思った。
おおらかな心でいたいと思った。
お見合いとデートが始まってからは、常にスケジュールチェック、仮氏さんへのLINEの返信、山田さんへの報連相などとても忙しくなった。
これまでのお見合いやデートと言えば、「怖くない人だといいな」とか思いながらたいしてプロフィールも読まずに会っていたが、山田さんのもとでする活動は全然違った。
お見合いが成立するとプロフィールを徹底して読み込み、質問を考え、イメージトレーニングをした。
お見合いやデートの日は山田さんへの朝の挨拶に始まり、内容を報告し、帰宅後フィードバックして頂く。
会話の内容を忘れないように毎回とても集中力を使うが、フィードバックして頂けるので、「あんなこと言われたけどこういう意味だったのかな?」などとごちゃごちゃ悩むことがなくなった。
「何でもわからないことは山田さんに訊く」という姿勢を意識していたが、「次回のデートの話が出なくて」と報告したときは「俺に訊くな、相手に訊け」と注意された。
報告で愚痴ってはいけない、気になることはその場で言葉を選んで突っ込む、次回デートOKなら調整してくれるしNGならおしまい、気持ちを切り替えて次を探す、というそれだけのこと。
「なんで誘ってくれないのかな?」とか思うのは「察してほしい」という甘ったれな脳みそ。
時間の無駄、さっさと自分から誘うこと。
よく失礼な言葉を使って山田さんに注意されたが、そうして発言して注意されることで、考える軸を整えていけた。
山田さんは毎回コンコンとずっと同じことを言い続けてくださった。
プチ挫折(5月)
打率1割でお見合いが組めて、デートも何回かしていた頃、「ちょっといいな」と思う方が現れた。
お見合いの時から次回のデートのお店の話が出て、1回目のデートは美味しい天ぷらのお店を予約してくださっていた。
スペックは文句なし、LINEのやりとりも楽しく、好かれているとも思っていた。
2回目のデートも決まっていたが、突然のLINEスルーからの交際終了。凹んだ。
そのときに「淡々とやれてない」と気づいた。
山田さんがP美さんと電話を繋いでくださり、親身になって話を聞いてくださり、励まして頂いたお陰で、思考がクリアになった。
目的は「結婚すること」。
そのために今しているのは「結婚してくれる人を探すこと」。
交際終了されてしまった人とは2度と会うことはない、だから考えても仕方ない、山田さんのフィードバックでも特に問題は見当たらなかった、だから、気にしないで次を探す。
今までのように独りぼっちで活動していたら、このタイミングで退会していたと思う。
やっと、プロセスの中でいちいち一喜一憂していた状態から、先の目的を見据えた結婚活動になった。
第1クールの人数
- 申込数:90名位
- お見合い成立:14名
- 仮交際:10名
自分から申込むことはとても大切。
申込んでもお見合いが組めるのは僅か。
お見合いした中で旦那タイプも僅か。
だからどんどん申込んだ方が良い。
「この人と結婚できるかな」とか1ミリも考えてはいけない。
選んでもらえて、初めて選べる。
お見合い成立した状態が、自分のフィールド。
初めての真剣交際(6月)
選ばれないと選べないが、有力候補がいない状態だったので、新たに団体申込みした。
目的が明確になると動きやすくなるもので、山田さんには「鬼気迫る感を出さない」「優雅に」「優しく」とアドバイス頂き、無になっておもてなしすることを意識した。
申込んだ中に、1回目の真剣交際になった人がいた。
お見合いのときから視線が合わず、背中は海老のように丸まり、女性慣れしていない、自信のなさが溢れ出ている人だった。
お見合いの後のフィードバックで「生理的に」という理由で断ろうとして、山田さんに「彼は旦那タイプだ」と教えて頂き、交際に繋げられた。
1,2回目のデートで好かれてることはよくわかり、山田さんにも太鼓判を押して頂き、3回目のデートで「真剣交際しませんか?」と伝えると「もちろんです、嬉しいです」とOKしてくださった。
LINEは毎日朝晩して、デートは週末に1回ペースで進めていた。
自信がなく後ろ向きな性格の方だったので、タイヤに縄を結んで引っ張るようなイメージで、ずりずりと私が引っ張って、進めていった。
山田さんに真剣交際からは確認作業と教えて頂いたが、何を確認したいのかわからず、先輩の成婚レポートや真剣交際中の人が書いたお茶会の感想文を読み込み、次のデートまでに質問事項を考え、スマホにメモしていた。
特にN子さんの講座にあった「結婚前に知っていたことは自己責任」という言葉が響き、聞かなきゃいけないことはないか、よく考えた。
6回目のデートでプロポーズして頂いたが、そのときに持病を告白された。
一旦は受け入れたものの、帰宅してからとても不安になり、親に「結婚したいと言ってくれてる人がいる」と伝えたときは悲壮感が漂っていた。
このときの私は、不安を親に肩代わりさせようとしていた。
「親が彼に会うと言ってくれたら、大丈夫」と思いたかった。
でも親には反対された。
「あんなに頑張ったのに」という疲れと、不安を切り離せることで少しほっとしている自分がいた。
覚悟が無かった。
結局、持病を受け入れられないという理由で交際終了した。
活動の見直し(7月)
真剣交際が弾けてすぐ、うっかり風邪をひいて気が弱ったのと、久しぶりの会社と家の往復生活で暇になり、何もできない時間がもどかしかった。
週末になると下から組LINEが活発になり、気持ちが焦ったが、第2クールを始めるまでの3週間、土台を見直す時間とした。
体重はギリギリ目標に滑り込んだ。
服をインしてもお肉が乗らなくなった。
タイミング良くIBJの将来設計セミナーがあったので、求める生活水準について考えるきっかけになった。
担当の方に「結婚したら仕事は続けたいですか?」と尋ねられ、これまでずっと「相手による」と結論を出せずにいたが、初めて「今の仕事は辞める、でも専業主婦ではなく、パートみたいな形で家の外で働きたい」という結論が出た。
更に、「一軒家ではなくマンションに住みたい」というような具体的な生活を想像するようになった。
7月末、A子さんのお茶会に参加させて頂いたことで新たな気づきを得ることができ、たくさんの成婚者の方々ともお話させて頂けて、「今度こそ決める」と強く思えた。
撮り直したお見合い写真と、ブラッシュアップして頂いたプロフィールは、第1クールのときよりしっくり馴染み、自信をもてた。
第2クールは「明るく楽しい婚活」をテーマに掲げた。
第1クールのときは教わるままに必死に動き、真剣交際で息切れしてしまった感があり、プロポーズされたと親に話したときに悲壮感を漂わせてしまった。
そんな姿を見せられたら、親の立場では不安に感じると思った。
「結婚したい人がいる」と報告するときに幸せいっぱいな顔でいられること、それまでのデートも楽しそうに出かけること、そういう相手を見つけるために行くお見合いは、戦闘モードではなく、明るく楽しみにしてる感じでいないと、と考えた。
第2クール活動開始(8月)
待ちに待った第2クール、意気揚々と団体申込みしたのはいいが、打率が伸び悩んだ。
毎朝新規で上がってくる人をチェックし、コツコツ申し込んだ。
第1クールのときに山田さんから「私と結婚しないと勿体ないよという気持ちで行け」と言われていたが、「そこまで厚かましいこと言えない」と遠慮していたのに対し、第2クールは「こんにちは、あなたを癒しに来ましたよ」みたいな女神モードが板についていた。
女神モードでのお見合い中は何でも許せたが、報告書を書き出すと冷静で、山田さんには私の気持ちがモロバレだった。
ちょっと丸々してる人とのデートで、食事の好みや運動の内容などしつこく書くと「デブ嫌いだろ」と指摘された。
気になる所をはっきり言えないとき、山田さんは「こいつと結婚させねぇから」と言ってくださった。
気になることをそのまま放置して、受け入れられないのに無理やり飲み込もうとするのを、止めてくださった。
何か気になることがあれば、なぜ気になるのか、直す必要はあるのか、と考えなければいけない。
山田さんに「髪がプリンだから気になる」と報告したことがあったが、「気になるなら直させたらいいけど、それで格好良くなっちゃったらモテちゃって調子乗るかもよ」と言われ、「なるほど、じゃあ今はダサいまま放置しよう」と思った。
そのお相手とのデートで、具体的な将来の話題が出たので、「惚れられてるから直してくれるかな」と思ってやんわり指摘すると、直さないそぶりが見えたので「頑固そうだな」と感じた。
体型についての指摘が一番難儀で、指摘しなくても良さそうな人に申し込んだりした。
そうすると逆にロードバイクで100km以上走るというストイックな人と出会ったりして、世の中は広いなと思った。
8月後半、お見合い7人目に、夫となる彼がいた。
新規で上がってきた朝に私から申込み、当日成立したのでよく覚えていた。
お見合いでは初めてケーキを勧めて頂いた。
美味しく頂きながらも内容はいつも通りな感じで、「たぶん交際に繋がるかな」と思って報告書をまとめていたら、交際希望の連絡が届いた。
山田さんが常日頃から「返信は素早くマメに」と仰るのは本当に大切だなぁと実感。
1回目のデートのときから真面目で素直そうで、色々とよく調べてくださり、かと言って偉ぶらず、私の希望を通してくださる優しい人という印象だった。
第2クールの人数
- 申込数:40名位
- お見合い成立:9名
- 仮交際:5名
真剣交際(9月)
3回目のデートで、私から真剣交際を申し出ると、彼も言うつもりだったらしく、「先に言わせてしまって、すみません」と謝られ、OKして頂けた。
4回目以降のデートは週2ペースで、毎回具体的に、結婚に向けてすることを話し合えた。
結婚段取り本を買ってきてくれたり、遠方にいるご両親に電話してくださったりと、積極的に動いてくださり、式場を押さえ、婚約指輪と結婚指輪の注文も済ませてしまって、9月末に私の両親へ挨拶をした。
成婚退会(10月)
10月頭に彼の実家へ行き、ご両親に認めて頂き、帰り道にプロポーズして頂いた。
10月半ばに両家顔合わせが無事にできた。
10月末に新居が決まり、入籍した。
今は家具選びと、結婚式の準備に動いている。
初めてのことだらけだが、穏やかで優しく、寄り添って考えてくれる彼と一緒なので、楽しみながら進めている。
まとめ
ブライダルサロン東京に入るまでは「婚活」ではなかった。
恋活でもなく、ただ独りでいることが不安で動いてるフリをしていた。
お相手が前向きな気持ちを向けてくれても、こちらは全く乗り気でなく、かと言って嫌われるとかフラれるなんてプライドが傷つくから、不平も不満もただ溜め込み、黙って相手に合わせて微笑んでいた。
でも心の中では「このまま結婚しちゃったらどうしよう」と不安だった。
そして相手の中で私の優先度が低いと感じると「フラれる前にフってしまおう」とあっさり別れ、しばらくマウンティングし合う低レベルな女子会を楽しんでいた。
彼氏でも友達でもなくても、ただ「会っている男性はいる」という状態が必要なだけだった。
自分の妄想で人の目を気にしてばかりいたので、誰のこともちゃんと見えていなかった。
とても天邪鬼でひねくれていた。
山田さんが教えてくれたのは素直な女性像で、想いをどう表現したら相手に伝わるかということ。
「これやってよ」と言うのと「こうしてくらたら嬉しいな」と言うのでは、同じ行動を求めているのに伝わり方が全然違う。
私はずっと自分の希望を通すときに理路整然とガンガン圧をかけて目力で押していたが、今は状況を見て、相手がしてくれてることを確認して、行動してくれたことへの感謝を伝え、追加の希望はおねだりできるようになった。
正直、生まれ変わったくらいの変化である。
会社でも家でも、無性にイライラするということがなくなった。
相手に過剰な期待をしなくなった。
それは逆に、私自身も相手の期待に応えなきゃと媚びることがなくなった。
自分の想いを、素直に言葉にして伝えられるようになった。
だから相手の言葉も、素直に信じられるようになった。
みんな他人だから、言葉にしないと伝わらないから、察してほしいと思わなくなった。
配慮してくれるのは嫌じゃないけど、そこまで私に気を遣わないで、もっと周りの景色を見て自由にしててと思うようになった。
人に媚びなくても、すごいことができなくても、大切にしてもらえるし、大切にしたいと思う。
決意表明のときに想像していた「愛され婚」より、現実はもっと、「超愛され婚」だった。
婚活相談はIBJ成婚実績多数の