有名大学を卒業し、有名企業に勤めているといつしかそれが自分の価値だと勘違いしてしまうアラサー女性は多いです。
素晴らしい社会人である事に間違いはないと思います。
ただ、この価値観で結婚相談所に登録し、婚活をしてしまうと…
彼女の様な悲劇に見舞われます。
この様な経験をされているアラサー女性は少なくないと思います。
33歳女性の成婚レポートです。
33歳成婚者(K子)
それから1年半後…
有名大学を卒業し、有名企業に勤めているといつしかそれが自分の価値だと勘違いしてしまうアラサー女性は多いです。
素晴らしい社会人である事に間違いはないと思います。
ただ、この価値観で結婚相談所に登録し、婚活をしてしまうと…
彼女の様な悲劇に見舞われます。
この様な経験をされているアラサー女性は少なくないと思います。
33歳女性の成婚レポートです。
それから1年半後…
目次
コーチへ献上するK子の成婚レポート巻物
自己紹介
K子の自己紹介
※67(シックスセブン):年収600万、700万台の30代女性の意味。
※ブライダルサロン東京が考案した婚活女性を縦横2軸の分布図に配置する事。上が「リア充」/左横が「学歴肩書重視」/下が「女子力なし」。
コーチに出会った頃“ダイヤの原石を見つけた気分”と言ってもらったのにあっという間に期待を裏切る軌跡を辿った。
シーズン2の中盤からやっと上昇気流に乗れ、自信をもって航海をすることができた。
その人が人生を頑張ってきた証拠だから。
仕事がバリバリできる男性が大好き。
そんな人を尊敬し、好きになってきた。
30代に入り、仕事にいよいよ没頭。
仕事と恋愛の両立もできず、“仕事のみ”になり、一気に恋愛も女子力を高めるのも怠った数年間。
そのうちいつかできると思っていた結婚。
仕事を頑張っていれば、人生で良いことがあるかも、神様は見てくれているかも、とさえ思っていた。
同時に、仕事に対しても、このまま続けて幸せなのかわからない・・・と不安定に気持ちがざわつき始める。
何を求めているのか。
自分がどこにいきたいのか。
中途半端な自分。
大泣きした。
なぜここまで会ったばかりのコーチに自分のことをまるごと否定され、笑われるのか。
自分を成立させていた小さなプライドを必死で守るため、私は、学歴と会社名を盾にして必死に“頑張ってきた自分”を守ろうとした。
抵抗した。
こんなに誰かに自分を否定されたことはなかった。
でも、本当は脆い。
コーチのもとにたどり着いた頃はもう内面はぼろぼろだった。
自分でも今のままでは結婚できない、何かを変えないといけないのはわかっていた。
でも、あまりにも突然急所を鋭い刃で刺され、一種のパニックになった。
本当にこの人は信頼できる人なのか、活動をしていいのかわからなくなった日も一日だけある。
一生懸命働くうちに、「結婚したくない、可愛げのない女」の代表にいつの間にかなっていたと気づいた。
ブライダルサロン東京に漂流したときには、女性としての可愛らしさは、まったくなくなっていて、自分のすべてに自信を失いかけていた。
できる男性が好きなのに、実際に「自分以上の男性」に会えば、「尊敬すると同時に、(会社の自分のように)いつの間にか、対等に頑張らなくては(いつの間にか・・・張り合って頑張らなくては、に変わる)」と無意識に思い始めてうまくいかなくなった。
「自分以上ではない男性」に会えば、すぐに肩書きや生き方をジャッジした。
カオスど真ん中だった。
大切なことは、究極にシンプルだった。
長い長い道のりだったが、やっと、コーチの諸々の教えがすべて腹落ちし、素敵な旦那様に会うことができた。
こうして成婚レポート(巻物)をコーチに献上することができることを、この上ない喜びだと思っている。
シーズン1:【コーチとの出会い~破門寸前】
大手結婚相談所での半年間
「2016年は結婚する」と自分に誓い、大手結婚相談所で2016年2月から活動を開始した。
活動途中に一人、心惹かれた人がいた。
帰国子女のバリバリの30代商社マン。
仕事ができて、いつも驚くような話をしてくれ、笑いが絶えなかった。
偶然に誕生日が同じだった彼と、「もしかしたら結婚するのでは」、なんて思っていた。
お見合いから熱心に「結婚したい」とアプローチをしてくれ、話題にした本を次のデートには読んできてくれる熱い彼だった。
初めから「海外、日本全国に専業主婦でついてくること」、「仕事は百歩譲って続けても良いが子どもが5歳になるまでは控えてほしい」と理想と自分の型が強い人だった。
俺様発言もあった。
学歴も仕事もオープンにしていたため「私が頑張ってきたことを認めてくれているなら、これからの人生も理解してほしい」と思う一方、彼は私を「頑固で自分を変えられない人」とデートを重ねるうちに思ったようだった。
5回目のデートはなかった。
結局「価値観のぶつけ合い」だった。
私は可愛くなかったとしみじみ思う。
「やっと素敵な人に会えたのに、自分が頑固で彼が求める“仕事を辞める”勇気が持てなかったために、チャンスを逃してしまったのか」と大泣きした。
一気に私の婚活は苦しくなった。
なかなか彼を忘れられなかった。
悔いが残った。
気持ちを一新するためにお見合い写真を新たに撮影し、一生懸命プロフィールを書き換え、再アップしたが、お見合い成立件数は「気持ちの頑張り」とは反比例に減少した。
活動したくても土日にお見合いが入らない週もあった。
結婚相談所からの着信メールを気にしながら何度土日を過ごしただろう。
結婚相談所からは新たな一手の有効なアドバイスもなく、「このままではダメだ、時間だけが無常に過ぎていく」と不安がよぎった。
ふと「男性目線 婚活」などをグーグル検索し、たまたまヒットしたのがコーチのブログだった。
今では、あの時、偶然に検索ワードを入力した自分を何度も何度も褒めてあげたいと思わずにはいられない。
コーチとの出会い
2016年7月17日に、単発婚活相談を申し込み、ぬかりやビルで初めてコーチと会った。
これまでの活動や交際状況を伝える間、コーチは静かに聞いていた。
その後、「言っていいですか?」と間を開けて一言。
どんな言葉が飛び出すかと思い、「はい・・」と恐る恐る答えた。
コーチは軽やかに、これまでのプロフィールと写真を一蹴した。
撮り直したお見合い写真は“まるで昭和のアイドル”。
2枚目に掲載していた写真も「SNSか何かにアップする写真ですか?」と笑われた。
プロフィールに至っては、声をあげて笑った。
“スパイス”、“レシピ”、“ホームパーティー”といった言葉に対して、「なんですか、これは。自分の価値観だらけのプロフィールですよね。男は横文字は嫌いですよ。それに、ホームパーティーができる男がここにいると思いますか?」と指摘された。
自分なりに精一杯お金と時間をかけて、「一生懸命自分を表現しよう(でないと、沢山いる会員の中で存在が埋もれてしまうから)」と作成したプロフィールもお金をかけて撮り直したお見合い写真も、一瞬でずたぼろになった。
意気消沈している私の前で、コーチは余裕の笑みを浮かべていた。
私は、「コーチおひとりの御意見ではないですか?」と冷静に反論した。
悔しかったし、悲しかった。
これまでの活動が「無」を意味することを簡単に受け入れるのが。
コーチは、「30代男性の一般的な意見ですよ」と余裕の口調で答えた。
今いる結婚相談所と違う、と思った。
「コーチの元で活動をしたら変わるかもしれない」、と思った。
その後、コーチにお見合い写真撮影とプロフィール作成を依頼し、コーチの元で8月1日に活動を始めた。
プロフィールは、これまで書いていた「K子丸出しの価値観」は皆無だった。
学歴も仕事も価値観も基本スルー。
お見合い写真もきれいに撮って頂いた。
しかし、これまでの活動のすべてから人間として自信を失っていた私の顔は、あまり輝いていなかった(コーチに見せてもらった同時期に入会したS子ちゃんのお見合い写真の輝きと自信がとても羨ましかった)。
コーチからは、「自分に自信がある女がやっぱり人気がありますよ」と言われた。活動に少しの不安がよぎった。
私は、まだ前の大手結婚相談所のアカウントを残したまま、コーチのもとで並行して活動をすることにした。
前のプロフィールとお見合い写真(これから始まる初めての婚活に希望をもって自然に笑っていた写真)で“本当の私を見つけてくれる人がいるかもしれない”、と今思えばきっと思っていたのだろう。
これまでの自分を捨てられていなかったのだと思う。
コーチは「(昔とこれからを)比べてみたらいいと思いますよ」と冷静に対応してくれた。
“本当に前の自分を捨てて、こいつは変わろうとしているのか?”、とはなはだコーチは疑問だっただろう。
当時の自分を表現すれば、“暗闇の中にいて、救いを求めているのに、コーチを信じることが本当に正しいのか、愛され婚を私もできるのか、100%信じることができていなかった”のかもしれない。
そんな私を、コーチはなぜか“ダイヤの原石を見つけた気分だ”と言ってくれた。
コーチの方が、「こいつを信じてみるか」と思ってくれたのかもしれない。
しかし、入会後まもなく、私はコーチの教え、成婚への成功の軌道から自ら外れていく・・・。
ダイヤの原石でもなんでもなく、とんでもないバカだった。
変化(外見)
面談では、ナチュラルだと思っていた無造作ヘアを「ぼさぼさでおばちゃんみたい」と一蹴され、女性目線のカッコいいと思っていた服もNGが出た。
愛読していた女性誌を言うと、「独身のモテない女が提案する服なんて着てどうすんの?モテるわけねえじゃん。」と言われる始末だった。
まずは、男性目線でモテる髪型に変えた。
高校生ぶりに前髪をつくり、パーマを落としてストレートロングにした。
そして、服はパステルカラーのノースリーブ、ひざ上のスカートを着た。
抵抗度は100%マックスだった。
若干泣きそうだったし、身体は「ちょっとちょっと!何着てるのよ」と拒否をした。
半信半疑ながらも、頑張ってミッシュマッシュを購入し、土日のお見合いとデートで男性にモテる洋服を着るようにした。
「30歳過ぎてイタい、恥ずかしいと思われないかな?」と通り過ぎる女性の目線が怖かった。
しかし、駅で電車を待っている何気ない時間に、いつも感じない男性の視線を複数から感じ、ミッシュマッシュの即効性のあるモテ効果に驚いたのだった。
無変化(内面・マインド)
外見は、ブライダルサロン東京移籍前より随分と変わった。
しかし、自分の“本当の問題”がわかっていなかった。
内面、マインドだ。
どんなに外見が女性らしくなっても、男性を「肩書や生き方、考え方」でジャッジする癖は簡単には変わらなかった。
「この大学の人はこれまで会ったことがないなぁ」、「なんでこんなに転職をしているのだろう」と男性と話しながら疑問を持ちながらお見合いやデートをすることが多かった。
とにかく、コーチの教えである、「(自分の価値観を丸出しにしない、肩書の話をしないで)女性の部分だけで勝負をする」と言葉尻だけは理解していたため、「絶対に、価値観や肩書の話は自分からしない」と決めていた。
だから、聞かれたときは逆にオロオロして変な人になった。
価値観丸出しの自己PRから一転、価値観を一切感じさせないスーッときれいな自己PRとともに行うお見合い・デートは、「価値観や学生時代・仕事の話をしないで、一体ほかに何を話せばいいの?」と時に困惑した。
女性の部分で話せる私はどこにもいなかった。
空っぽだった。
苦しかった。
しかし、どんな人でも3回は会うことを意識した。
けれど、「3回会えばもうさよならできる」とシーズン1の終盤は3回デートが終わると、コーチに「仮交際終了」のお願いを連絡するようになっていた。
仮交際の6~7人は一人、また一人と消えていった。
モテる話し方講座の学びも、お見合い場面の一瞬しか生かせなかった。
その後のデートは、“ジャッジ作業”にいつの間にかなってしまった。
一方、前の結婚相談所でのお見合い、デートから学んだ事がひとつあった。
私のプロフィール内容から、お相手に学歴や仕事のこと、家族の職業を事細かに質問されることが続いたときだ。
相手に“結婚相手として”緻密に分析、ジャッジされていると感じた。
何を求められているのか、疑問に思った。
居心地が悪かった。
はたと、自分も同じことをお相手にしていたのだと気づいた。
この収穫は大きかったと今振り返って思う。
婚活アプリへの暴走
「K子の理想の男性はIBJにはいないよ。婚活アプリに登録してみれば?そっちの方がいるかもよ。」今思えば、コーチの挑戦的な言葉だったのかもしれないと理解できる。
しかし、私は「そうか。ここまで活動がうまくいっていない。結婚相談所はもしかしたら私に合わないのかもしれない。婚活アプリに登録してみよう。」と心機一転、登録することにした。(本当にばかだ、と言いたい(涙))。
バカだったけど、これまでの結婚相談所での活動で大きく自分や婚活状況を変えられていないことはよくわかっていた。
だからこそ、活動領域を変えるときには、自分を気持ちを新たに内面・マインドを変えなくてはいけないと思った。
このときの私は、少なくとも、「肩書ではなくその人となりを見るようにして活動しよう」と素直に思っていた。
すぐに、メッセージ交換が始まりとても気が合う男性と知り合った。
会話はとても弾んだ。
職業は公認会計士。
実際に会ってみることになった(このように会うのは初めてで緊張したが、婚活を頑張りたい気持ちが上回った。)。
婚活アプリということもあり、きちんとお互いに身元を明かそうという空気になり、大学名と会社名をフランクに名乗り合った。
彼は、四大監査法人勤務、東大卒だった。
肩書きを気にしないで活動しようと思った私だったが、驚いた。
肩書きを考えなくても、私は純粋に彼と一緒にいてとても楽しかった。
しかし、2回目のデート以降、3回目のデートはやってこなかった。
結局、私は「彼にとって付き合いたい女、結婚したい女」ではなかったのだろう。
もう気持ちが疲れてしまっていた。
結婚相談所でも、婚活アプリでもうまくいかない自分に幻滅した。
破門寸前、残されたチャンスは1回だと知る
この頃、コーチとの連絡もあまり頻繁ではなくなっていた。
気づけば、コーチからくるLINEも熱はなかった。
コーチにとって、“別にいてもいなくてもどうでも良い会員”、“期待されない会員”に成り下がっていた。
それをひしと感じた瞬間、私は泣いた。
一番泣いただろう。
「辞めることは簡単だ。でも、今コーチのもとを去ったら、絶対に一生結婚できない。」と思った。
しかし同時に「でも、ここまで何も成果を残せなかった私に、再度いちから指導してもらうにはどうしたらいいのか」と不安でたまらなかった。
言葉で約束するしかできなかった。
「本当にすみませんでした。でも、最後のチャンスが欲しい。クリスマス婚約を目指してあと2か月、コーチのもとで頑張らせてください。もう一度お見合い写真撮りからやり直させてほしい。」と切にお願いした。
同じ8月に入会し成婚した会員さんがいる一方で、私は問題児中の問題児だったのだ。
破門寸前の私に、成婚者S子ちゃんが最後の喝を入れてくれた。
「やれよ!」と。
S子ちゃんの成婚レポートをくまなく読み、S子ちゃんにコーチの元でのこれまでの活動ヒアリングをさせてもらった。
これまでの私の活動のどこがいけなかったのか、活動のどのポイントがS子ちゃんと私は違ったのか。
徹底的に洗い出した。
そして、クリスマス婚約を目指すことを誓った。
S子ちゃんから学んだ重要なこと。
それは、「場面場面、要所要所でのコーチの教えの引き出し方、活かし方」と「幸せは自分の変化の中にある」ということである。
自分のマインドを変えた先に幸せを見つけたS子ちゃんを心から尊敬した。
シーズン2:【破門寸前からの再チャレンジへ】
再チャレンジスタート、新しいお見合い写真で
11月。バカな会員のために時間を割いてスタジオ撮影にコーチが再度同行してくれた(2回もお見合い写真をとった会員は私しかいないだろう)。
待ち合わせのスタバに予定より早く来てくれたコーチの姿を今でも鮮明に覚えている。
以前から、男性が会いたいと思う写真は、「自分に自信があり自分を愛している女性の顔」とコーチに聞いていたがゆえに、撮影はとても不安だった。
前回のお見合い写真から、どれだけ今自分に自信を持てているだろうか、と。
しかし、「良いのが撮れたよ!前よりも自信を感じるよ!」とコーチが新たな一枚を選んでくれた。
苦しかったシーズン1でも、昔よりほんの少しの自信は得られていたのだと思ったら、心底ほっとした。
撮影に着たノースリーブは、成婚者S子ちゃんの力を借りたいと前日に借りたものだった。
「未来の旦那さまに向けて、とびっきりの笑顔を向けてね」と手紙が添えられていた。
シーズン1で結果を出せなかった私に向けてくれた優しさと喝が本当にありがたかった。
プロフィールの言葉も再度丁寧にコーチと見直した。S子ちゃんも成婚者目線で沢山のアドバイスをくれた。
新たなお見合い写真とプロフィールで、会える男性の層が一気に変わり、なかにはエグゼクティブもいた。
変化(外見)
髪は、前髪とロングストレートを基本とし、より柔らかいイメージになるようにカラーリングをした。
トリートメントも入念に行った。
「変化が緩やかだと、元のモテない自分にすぐ戻っちゃうから」とS子ちゃんにアドバイスをもらい、毎日ミッシュマッシュを着ることを徹底し、会社にも着ていった。
いつでも、お見合いもデートもできるように。
カラーリングも洋服に対しても、固い会社なのだが、私はここでも「仕事よりも結婚が最優先」の意気込みで毎日ミッシュマッシュを徹底することを誓った。
会社では、30代の先輩から、「かわいいやん、何かあった?」とメールがきたり、コピー機の前で「妖精みたいだね」と照れながら声をかけてくれたり、「今度ご飯いきましょう」とチョコレートをもらったりした。
自分でも、髪と洋服が少しずつ馴染むようになったのを感じた。
こんなにやわらかい雰囲気になるのはこれまでの人生でなかっただろう(Domaniのハンサムウーマン的な女性を崇拝していた)。
間違いなく、「男性目線で、自分史上一番かわいい」私になれていると思えた。
お見合いやデートでも、以前より自信と余裕をもって臨めるようになり、会った瞬間に「きれいですね」、「モテそうですね」、「なんで結婚相談所にいるのか不思議です」と褒められることが続くと、心の中で「きたっ!」とガッツポーズをした。
そして、相手がにこにこしているのがわかると、こちらもなんだか嬉しくなった。
デート中も、男性が出張のおみやげを買って渡してくれることがデートのたびに続き始めた。
少しずつ変化(内面)
お見合いも、デートも生理的に難しい人を除いて、「自分からは絶対に切らない」、と自分にルールを課して徹底して守った。
仮交際は最大で7~8人と並行していた。
2軸マッピング図の「女子力なし」、「学歴肩書重視」の最高峰に位置し、ブライダルサロン東京において、史上最強の困らせ女子であった私。
シーズン2では、課題である「女子力向上」の対策と、「肩書で見ずに人となりでみるマインドチェンジ」の対策を同時に徹底して行っていった。
後者については、正直、これまでの癖が急にとれたわけではない。
仮交際中なのに、ジャッジしようとする癖はシーズン2でも初めの頃ちょこちょこ出てきた。
私が相手のあまり知られていない大学名が気になると言及しようものなら、その度にコーチから厳しく喝が飛んできた。
「お前は何様だ?!お前の女性の魅力は男性の年収200万より低い。会っていただいてありがとう、だろ。ふざけたことを言うな!!!」と。
ふざけた癖の芽が出ようものなら容赦なく、鋭いナイフでこてんぱんに切り刻まれた。
「どんな男性も平等に扱い、最高の笑顔でおもてなしをしろ。」、「お前が男を選ぶ立場にない!!!惚れさせて初めてお前が相手を選ぶ権利があるんだ。」何度も相手を肩書でジャッジをしようとする癖が出るたびに、私は死んだ。
そして、「女子力向上」への対策―男性目線の洋服、髪型、LINE。
そして最も必要な現場力(お見合いとデートの現場での女子力)。
徹底的に目の前の男性を惚れさせる必要があるが、女子力向上にあたり阻害していたマインドは、「仮交際の何人も同時に惚れさせていいの?男性の気持ちをもてあそぶことになるのでは?」ということだった。
ずっと抜けきれなかったのだ。
マインドを変えて取り組みたいと思い、S子ちゃんや幸せマインドのT子ちゃんにアドバイスを求めた。
S子ちゃんからは、「男性も本気で女性を惚れさせなくてはいけないから状況は同じであると捉えること」を教えてもらい、T子ちゃんからは「目の前の男性を惚れさせることが出来なければ一生結婚できない。だから無我夢中で目の前の男性に向き合っていること」を教わった。
コーチの教えが、S子ちゃんやT子ちゃんの実体験によって強力に補足され、シーズン2の中盤からは腹の底から理解できるようにようやくなってきた。
肩書きではなく、平等に男性をおもてなしする。
辻先生のマインドでお見合いに臨む。
お見合いの最初の印象が勝負。
一気に惚れさせにかかるようになった。
「この笑顔は落ちたな」と感じる瞬間がわかるようになった。
相手を突然に「結婚相手として見ないこと」。
なんでもない言葉から、連想ゲームをして共通点を探し、楽しく話すこと。
なんでもない会話ができるようになっていった。
相手もくだらない話ほどリラックスをして笑っているように感じた。(リラックスをした男性が、これまで婚活で会った女性から、大学や仕事・所有資産等の質問をされることが多い、と話してくれたことがある。
男性も婚活で沢山女性にジャッジをされ、傷ついている、警戒しているんだ、と心底わかった。
だからこそ、たわいのない会話で1時間笑顔で話せるようになった私に心を開いてくれる男性が中盤以降多かったのかもしれない。)
この頃に開催され、参加した2回目のA子さんのお茶会は、本当にタイムリーに心に響いた。
結婚相談所での活動や心構えを秀逸に表した「アウトレット理論」と、どんな男性と結婚するのが本当に幸せなのかを言い表した「足湯理論」はA子さんの理論の中でも最も大好きな理論である。
A子さんは、黄色の付箋の人(エグゼクティブ)に何度も心惹かれながらも、最愛の旦那さまと結婚され、私たちを温かく応援してくれる最も敬愛する方だ。
A子さんの理論に当てはめて、仮交際中のエグゼクティブを見ると、愛され婚をするには程遠い人が多いことに、気づくことができた。
A子さんの理論を当てはめると、愛され婚をする相手では全くなかった。
クリスマスイブの涙
クリスマス婚を目指して、再スタートをさせてもらったシーズン2。
女子力を向上させ、肩書ではなく相手の内面を見るようにマインドを変えていこうと頑張ったシーズン2。
クリスマスイブに、最有力の仮氏とデートをした。
彼は少しとっつきにくい印象もあるけれど、笑った時の笑顔が可愛くて、聞いたことを一生懸命調べて応えてくれる人だった。
前の自分だったら、早い段階で「外見がタイプじゃない」と切っていただろう。
でも、「自分の意識の変化の中に幸せがある」と気づくことができたから、「彼の素敵な内面を見よう」と思えた。
楽しみに迎えたクリスマスイブは彼の提案で水族館に行った。
一日長い時間過ごすのは、その日が初めてだった。
一緒に過ごし、ご飯を食べたりするなかで、どうしても生理的に難しいところを4つ発見した。(そのうちいくつかは、前のデートから「あれ?」と思っていたことだったが、「彼と向き合うことを頑張りたい」と思っていたのだった。)デートの楽しい気持ちが段々と下がってきて、少し早めにお別れをした。
私の様子を見て彼の表情も駅で別れるとき、最後晴れやかではなかった。
こんなはずじゃなかったクリスマスイブ。
お家に帰って、幸せマインドのT子ちゃんに連絡をした。
電話で彼とのデートの話をしていたら自然と涙がでた。
「本当にK子ちゃんはよく頑張っているよ。前のK子ちゃんとは違うよ。明日あるお見合い、まずは必ずつなごうね。お互い頑張ろうね。」と励ましてくれた。
私は、「明日のお見合いを、まずは絶対につなごう。」と心に誓った。
悲しくて涙が止まらなかった。
コーチにも、いつもお見合い・デート後はすぐに連絡するのに、悲しくてすぐに連絡ができなかった。
翌朝、コーチは何もいわず、ただそっと励まし見守ってくれた。
シーズン3:【再々チャレンジから真剣交際~成婚退会へ】
クリスマスのお見合い
クリスマスの午後、1件のお見合い相手は、活動を始めたばかりの方で、新規入会会員のお見合い写真をみて「なんて優しそうな雰囲気の人だろう、会ってみたいな」と私から申込をした方だった。(あとから聞くと彼にとって、まさにクリスマスが婚活初日で、私は2人目のお見合い相手だったそうだ。)
お見合いの待ち合わせ場所に着くと、写真通りの優しい笑顔の彼が先に着いていた。
その後、1か月ちょっとで真剣交際になり、さらに1か月後に・・・大好きな東京タワーが見える素敵なレストランでプロポーズをしていただいた。
クリスマスにお見合いをした彼が、私の結婚相手になったのだった。
本当に見るべきもの(仮交際~真剣交際)
彼は、早い段階で好意を持ってくれ、彼の仲人に伝えてくれていたそうだ。
そんな彼とは、毎週土曜日にデートをした。
忙しい平日があっても、毎週末がとても楽しみになった。
食事や映画、家具店デートをした。(T子ちゃんに教えてもらった「家具店デートは結婚生活が想像できて盛り上がるよ!」はまさにその通りだった!ありがとう)「いつも都心に出てきてもらっているから」と私の住んでいる最寄り駅まで会いに来てくれたこともある。
優しい人だな、と毎回のデートで思う場面があった。
彼の良いところを数えると、沢山でてきた。
でも、他にも仮交際中の仮氏がいて、彼が有力候補でありながらも、まだ彼に絞る勇気はなかった。
状況が大阪の成婚者P子ちゃんに似ている、とコーチが教えてくれ、P子ちゃんにも沢山相談させてもらった。
彼とのこれからを現実的に捉え、自然と想像できるようになったデートが4回目のドライブデートだった。
私が陶器を好きであることを知った彼が「次のデートは栃木にドライブに行こう」と連れて行ってくれたのだった。
「車の中で聞く音楽は私が持っていくね!」と音楽担当を申し出た私は、ドライブデート前夜に、会社近くのTSUTAYAに駆け込んだ。
コーチから教わった“男性目線”且つ“同年代目線”でのCDを何枚も借りた。
丸1日のドライブデートはとても楽しくて、穏やかで、一日一緒にいても自然な時間が流れた。
普段車を運転しない彼にとって、一日の運転は張り切って出かけたもののとても大変だったと思う。
安全確認が不足してしまう瞬間が帰路2、3回あった。
途中、お蕎麦屋さんに立ち寄って夕食を食べたときに、覚悟と勇気を出して「運転している人、一緒に乗っている人、道路を歩いている人、みんなの命が本当に大切だから、安全に運転しよう。今日は連れてきてもらって本当に感謝をしているし、ありがとう。そして、長時間運転をずっとさせてごめんね。帰り道は、SAに毎回寄って休み休み、ゆっくりお家に帰ろう。」と伝えた。
彼はとても申し訳なさそうに、「本当にかっこ悪いところを見せて、怖い思いをさせて本当にごめんね。SAに毎回寄ってゆっくり帰ろう。」と応えてくれた。
私にとって、この言葉を伝えることで彼に嫌われ、彼との仮交際が終わるかもしれないと思ったけど、言わなくてはいけないと思った。(成婚後、彼にこのときの心境を聞いたところ、「もう仮交際は今日で終わりだ・・」と思ったそうだ。
そして「でもちゃんと家まで送り届けるぞ」と思ってくれたらしい。)
普段、車に乗ると眠ってしまう私だが、ずっと起きていた(笑)。
そして、SAが見えるたびに、「SA見えたよ」と言ってSAでゆっくり休んだ。
一緒にナビをのぞき込んで進行方向を確認して目的地に向かった。
方向がちょっと間違っても2人で笑った。
“ものすごく器用とは言えないかもしれないけど、一緒にふたりで助け合って生きていくってこういうことなのかな” とすーっと自然と思えた自分がいた。
遠い私の駅まで送ってくれ、車を降りて彼と別れるときは少し寂しさを感じる自分に気づいた。
初めて男性に「お家に着いたら連絡して!」と言っただろう(笑)。
彼から「着いたよ」と深夜LINEが来たときは、本当にほっとした。
彼から「今日は本当にごめんね。もしまだよかったら、ドライブデートではなくてまたデートが出来たら嬉しい」とLINEが返ってきたときは、「素直でかわいい人だな」と笑った。
ちょうどこの頃、婚活LINEグループで真剣交際中のT子ちゃん、J子ちゃんに彼を選んだポイントを聞いてみたことがあった。
2人とも、「穏やかで、話し合いができるか、の2つだけを見ているよ」と教えてくれた。
そのシンプルな視点で彼を見たとき、“きっと彼なら大丈夫だ”と自然に思えた。
ドライブデートから帰宅した夜、コーチに「真剣交際をお受けしたい」と電話で伝えた。
なんだか涙声になった。
コーチからは「感情が変わりましたね。これまでと違うことがわかりますよ。」と穏やかな声で応え、喜んでくれた。
真剣交際~プロポーズ
2月11日(土)のデートの別れ際に、無事に真剣交際を伝えてもらった。
その夜は、急いでバレンタインの材料やラッピングを買いに出かけた。
そして、翌日、モテる話し方講座に参加をして、コーチや辻先生、頑張る会員のみんなにエネルギーをもらって、ガトーショコラを渡しに彼の最寄り駅まで会いに行った。
可愛い笑顔がびっくりした表情になり、「ありがとう!いつ作ってくれたの?手作りをもらうのは初めてですごく嬉しいよ!」ととても喜んでくれた。
その表情を見て、「彼の喜ぶ顔を見るのは、自分の喜びだな」と思えた。
2月19日(日)は、待ちに待った大好きなA子さんのお茶会だった。
真剣交際の報告に、A子さんは「自分のことのように嬉しい。本当におめでとう、よく頑張ったね!!!」と心から喜んでくださった。
結婚相談所での活動を表した理論から、幸せな結婚をする相手を見極めるための理論まで、A子さんの「アウトレット理論」や「足湯理論」などの4つの理論は相変わらず秀逸で、聞き入ってしまった。
結婚後も、想像していなかった大変なことや辛いことがあったときに、自分の味方でいてくれる人かどうか。
心の目を開けて彼を見たら、「きっと大丈夫だ」と思えた。
3月12日。モテる話し方講座1周年企画で、コーチ、辻先生、F子さん、大好きなみんな(タラレバ娘全員集合!!)に会い、また沢山の幸せ報告、幸せな笑顔に、こちらが幸せな気持ちになった。
そして、その後、彼と美術館デートに行き、その日の夕食後にプロポーズをしていただいた。
東京タワーが大好きなことを知っていた彼は、東京タワーが見える個室のレストランを予約してくれていた。
メッセージカードと言葉で、「結婚してください」とプロポーズをしていただいたときは、喜びと同時にずっと待ち続けたこの瞬間が本当に自分に起こったことなのか、なんだか不思議な気持ちでいっぱいになった。
部署が変わり体調を少し壊していた私に対して、「無理はしないで、返事はいつでも大丈夫だから」と言い添えた彼。
聖人以外の何者でもなく、A子さんの「足湯理論」に出てくる「私にとっての最高の足湯さん」だと思った。
そして、A子さんが教えてくれたもうひとつの大好きな理論、「アウトレット理論」の「自分にとっての一級品、only one」。
彼こそがその人だと、彼だけだと深く深く思えた。
お別れする駅では、お互いの姿が見えなくなるまで手を振った。
「彼と一緒のお家に早く帰りたいな」と思った。
喜んでくれるみんながいる
「幸せオーラいっぱいのK子ちゃんに会えて嬉しかったよー。
彼に愛されているのが伝わってきました!
出会ったときよりもずっとまるく角がとれて素敵な女性になってて羨ましくなったよー」
「ついてきてくれたこと、変われたことを尊敬してますよ」
コーチや、先輩成婚者、STOPタラレバ娘のみんなが、プロポーズの報告に「自分のことのように嬉しい」と次々にメッセージをくれ、心から喜んでくれた。
メッセージを読むたびに、涙が溢れた。
こんな人たちに囲まれて、みんなに支えられてここまでたどり着けたことをあらためて感謝した。
私は、大手結婚相談所で婚活を始めた当初からコーチの元で活動を始めて随分たった頃までも、わかりやすい「東大などの学歴、商社などの社名といった肩書き」や「1000万円を超える年収」に長くひかれ、「本当に大切なもの」が真にわからない時期が続いた。
沢山の男性に会って、そして彼に出会えて今思うことは、『結婚相手に対して、「肩書きや年収」を求めることも決して悪ではない』ということだ。
でも、それ以上に大切なのは、『わかりやすい「肩書き」に縛られると、「大切なもの」を見失ってしまうし、「大切なもの」を見る力も養われない。』ということである。
「大切なもの」とは、コーチが会員に願って止まない「愛され婚」に必要なものである。
①「肩書き」もあって「大切なもの」を持っている人もよし。
②「肩書き」は普通でも「大切なもの」をすごく持っていれば、愛され婚レベルは①に負けないかもしれない。
絶対苦しいのは、③「肩書き」だけのひと。
④「肩書き」も「大切なもの」もどちらもない人。
だと思う。
私の聖人のような彼は、①のスーパーハイスペックのキレキレのビジネスマンというよりも職人気質である。
スーパーハイスペックのキレキレのビジネスマンを求める、日々男性と戦うキャリアウーマンだったら気づかないかもしれないけれど、私はブライダルサロン東京、コーチ、みんなのおかげで「大切なもの」を大きく持っている人であることに気づくことができた。
きっと今の彼が、ほんの少し前の昔の私とお見合いしていたら、私は自分で関係を壊していただろう。
彼が持っている愛おしい「大切なもの」をみることもできずに。
そして、「女子力」もないために、仕事の話しか話題にできず、彼に窮屈な思いをさせるだけの「イタい女」だっただろう。
そして、そんな私のことを彼に好きになってはもらえなかっただろう。
外見は変えられても、内面・マインドは早々変われない。
30年分のマインドがこびりついている。
カビのように根が深い。
コーチに何度も何度も、巨大なトンカチやハンマーで頭をかち割られ、何度も何度も谷底に突き落とされた。
少しずつ内面・マインドが変わり、沢山の③「肩書き」だけの仮氏に会っても、愛され婚をする人ではないと腹落ちできるようになった。
そして、自分のマインドが変われたことで、聖人のような彼に出会ったときに、彼が「大切なもの」を最高に持っている人に気づくことができた。
彼と会うときは、「女子力だけ」で会話をし、彼の「内面」を見た。
彼も私の「内面」を見て好いてくれた。(彼は、最後まで私に学歴も会社名も一切聞かなかった。)
ブライダルサロン東京でコーチがずっと言い続けてくれた「愛され婚をする大切さ」。
愛され婚をするのに阻害する、根が深いマインドがようやく変われたときに、笑顔の優しい彼が「女性版アウトレット」から私を見つけて、好いてくれた。
ブライダルサロン東京だからこそたどり着けた今の地点。
コーチが教えてくれたことがこうしてすべて実を結んだことを感じた今が最高に幸せであるし、ブライダルサロン東京に入った意味をあらためて考えると感慨深くなるものがある。
(そして、2月に部署が異動になり、彼に会えていなければ婚活を休会する可能性もかなりの確率であった。もう神様が最後に救ってくれたのだとも思える。)
プロポーズの1週間後、彼が九州の両親に会いに来てくれた。
両親も一目で彼が誠実であると感じてくれたそうで、とても彼を気に入ってくれた。
「結婚させてください」と両親に深々と頭を下げる彼に、信頼が増した2日間だった。
コーチが常々言う「結婚はゴールでなく、スタート」。
これから、彼と一緒に、楽しいときもつらいときも、いつも笑って励まし合って一歩一歩歩いていきたいと心から思う。
メッセージ
ブライダルサロン東京は、コーチと会員、会員同士が高いレベル・絆でつながっている結婚相談所だ。
そして、大切なことは、「コーチとの信頼関係」、「成婚者さんや会員皆さんとの高いレベルの絆を作る努力をすること」、そして「全力で頑張ること」の3つだと思う。
33歳。今の自分が、人生で一番女性として可愛くなれたと思う。
こんなに私を叱ってくれる人はいなかった。
コーチ、本当に人生の恩人です。
本当にありがとうございました。
大好きです。
終